むーたん 思考のむきだし

むーたん(21)@zymwq 愛のむきだし

思い出を宝石箱へ


一瞬の幸せな気持ちを宝箱に仕舞うような気持ちで、この記事を書きます。


取り留めもない話なので、読み飛ばしてもらっても構いません(*˘◦˘*)

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私は卒業に伴う就職により、今のホテルを退職することになりました。
そして、迎えた最終日前日の出来事について書きますね


その前の日は試練の日でした
いらっしゃるお客様は怖い方()ばかりだし、予約はややこしいし、イレギュラーがレギュラーなのでは?と思うほどでした。

そんな事案も何とかクリアし「一年で精神的にも成長できたな」と自身の成長をひしひしと感じたのでした。

そして最終日前日。
その前の日とはうってかわって、ほのぼのしたノーマルな1日でした。平日なのにお客様がお食事してからいらっしゃるのが少し違和感があったくらいです。


一緒にシフトインした後輩くんとは会うのが最後だとわかっており、これからはトップに立つ子なのでその子に少しでも何かを残してあげよう、不安を取り除いてあげよう、そんな気持ちでした

些細なことから難しい処理まで、抜きうちテストみたいに「例えばこのケースだとどうする?」と絶対間違えるだろうと思って聞くと、私の教えた通りの回答をしてくれて「成長したな〜〜〜〜くそかわいい〜〜大好き〜〜」てなりました笑


それより、今回私が書きたいのは「接客が好きだ」と思った瞬間についてです。

一年ちょっと前、まだまだホテルの知識が十分でなくお客様に完璧な案内ができなかった頃、何か1つだけ極めようと思って取り組んだのが「飲食店案内」でした。フォロワーの皆様はご存知の通り、飲みあるきを至上の歓びとしてる私としては、これほど役得なことはありませんでした


昔から「美味しそうに食べてる顔が1番いい」と言われるくらいとびっきりの笑顔になることができ、そのイキイキとご案内する様子をみて「じゃあそこにしよう!君の案内でこのお店に行きたくなったよ!」と言われたことを今でも覚えています。多分、初めてお客様に褒められた瞬間でした。


私の飲食店案内は、他の人のそれとは違うと断言することができます。パンフレットを渡して「はい」ではなく、天気/人数/予算/お住まい/時間帯/昨日食べたもの/お酒の趣味.......ありとあらゆる情報を会話から端的にピックアップし、オススメを2〜3軽く説明し、食いつきのいい方にクロージングをしかける。

ロビーにも情報誌やパンフレットはあるけれど、それでもフロントまで聞きに来てくださるというのは、つまり「お客様に1番ピッタリのお店を紹介して欲しい」という事だと思っています。


私の案内を聞いて「よっしゃ!そこにしよう!」と意気揚々とお出かけし、ほろ酔いで戻ってきて「お姉ちゃんありがとう!おいしかったで〜〜」と手を振りながら言われると、なんとも幸せな気持ちになるのです。


自分の好きなお店をお客様にも楽しんで頂けるとゆう事は、自分がそこで楽しむよりも何倍も嬉しいのです。


それの姿勢が伝わってか、手作りの飲食店案内マップを作らせてもらう事が出来ました。お世辞にも絵が上手とは言えませんが、精一杯の愛を込めて大好きなお店達の紹介をしました。


するとそのお店の店長さんたちから「最近このマップを持っていらっしゃる方がおおいんですよ。情報誌じゃなく、手作りの暖かさがいいとおっしゃる方が多いんですよ。こんな素敵な地図を作ってくれてありがとう」と言われる事がありました。普通に泣きました(お酒も入ってたから!)


そして昨日、久しぶりに余裕があったのでお客様に飲食店案内を何度かしました。

「手作りの地図があるの?可愛らしいね〜〜愛が伝わってくるよ」
「そこお姉ちゃんもよく行くの?ハーフサイズの海鮮丼と一品から頼める天ぷら?お姉ちゃん本当にそれがすきなんやな!よっしゃそこにしよ〜〜ほな行ってくるで!!!!!」


そして出て行くお客様の背中を見て
「なんと幸せな仕事だろう」とじわじわと胸の奥から温かいものが滲み出てきたのです。


自分でも分かりました
この数分間、自分がどれだけ楽しそうに案内をしていたか。
楽しくて楽しくて「無邪気に」笑う子供みたいだったと思います。人生の中でこんなに楽しい瞬間って、そうそうないと思います。



だから、私はどのスタッフにも得て不得手があるのは重々承知の上で、何かを極める事が、それを本気で楽しむ事が、その他を補い成長させるきっかけになるのだと改めて思いました。


接客も案内も事務作業も苦手
お客様をいつも不機嫌にさせてしまう、完全に「向いてない」人も楽しそうな瞬間はある。それを見抜いて伸ばしてあげる。


これまでは何で出来ないの?とばかり思っていた。でもその人と会う最後の日にやっとそれに気付けた。

「色々苦手ですよね、分かっています。そんなあなたにこそ使って欲しい言葉があります。『ご不明な点はございませんか?何かございましたらお気軽にご連絡下さい』です。その一言できっと何が か変わるはずです!」


もっと早く伝えられたらよかったな
私みたいに盛りだくさんに話すタイプにはこの言葉はあまり良くない。何時までも話して人数がさばけないから。でも、本当に必要な人が使うとこの言葉は思った以上の効果を発するのだ。


人には得て不得手がある、良いところを伸ばしてあげよう。そんな言葉は偽善だと思ってた。嘘くさくて、私にはしっくりこなかった。

でも、苦手を得意で補う事を無意識のうちにしていたのは私だった。
何か1つを極めると、おのずとそれ以外も一定の水準まで押し上げることができるのだ。


今更、本当に今更気付くなんて...と悔やまられる。それでもみんなの良いところを伝えていくことが、それぞれの自信となり、接客を一段階上へと引き上げる手助けになるなら、私にはできるのはそのヒントをあげることくらいなのだろう。


他人を変えることなんて出来ない
変わりたいと思わなければ成長しない
私が出来るのはそのきっかけを作る手助けが出来ていただろうか
自分のスタイルを押し付けていただけなのかもしれない
どうして私と同じ仕事ができないの?あれがダメこれがダメ...
それでも必死についてきてくれた後輩たちには感謝している


一言いうなら、
ダメな先輩で本当にすみませんでした。
ただただ未熟でした。今でも未熟です。
ほんの少しでも一緒に働けて楽しかったと思って貰えたら嬉しいです。
私はみんなと働けて死ぬほど楽しかったです。宝石みたいな時間を、ありがとうございました。


マシンガントークの止め方


【機が熟すのを待つ】


私事ですが、大学卒業を直前にアパートを明け渡して来ました

この4年間を振り返ると...それは本当に卒業してからにするとします笑

クリーニング業者がいらないレベルまでピッカピカにして思ったのです

「ここにはもう戻れないんだな」と。

逃げ場を失ってから戻った実家は、いつもよりも暖かく感じた

そして、両親と色んなことを話した
仕事の不満、人付き合い...そして母は

「まだまだ若いわね」

と言った。その言葉で流されることに対して、ちょっとムカッとした。

これからやりたい事、夢、希望も話した

「機が熟すのを待ってから動き出しても遅くない」

と父が言った。

思い立ったら即行動の私には無縁の言葉
そしてそれは父も同じである


「お父さんも親父から言われて、ようやく理解できたんだけどな。考え込むってよりも、それが実現できる状況かっていう判断項目を持つのも大事なんだよ」


なるほどなるほど!
私は自己完結型で、なおかつスピードタイプ。マシンガントークがいい例だ。


真剣な悩みで、マシンガントークが止まらない。それを披露する機会はかなり減少傾向にあるが、1度始まると堰を切ったように言葉が溢れ出るのだ。


おそらくら相手が理解もしくは受け入れる事のできる情報量を超えていないか、という「状況判断」を怠っているのではなかろうか...


私は家族といるとき、マシンガントークだなんて思った事がなかった。私がどれだけ話しても、いい具合に流し聞いてくれていたからだ。感謝。



「一呼吸おく」や「焦らない」ではない「機が熟すのを待つ」という言葉はどうもしっくりくる


考察項目に「周りの受け入れ態勢」というな外部要因を多めに盛り込むという事か...なるほど、出来そうだ

私は両親をものすごく尊敬してる
これから社会人になるとして、私は両親のような「大人」になれるだろうか

早く「ガキ」を卒業したい
もっとスマートな生き方をしてみたい
常々そう思うのであった...(つづく)












模範解答だけが正解じゃない


3月のとある平日、私は「接客業」の答え合わせをする機会を得た。

というのも、今のホテルで私に「プロ」とは何かを徹底的に仕込んで下さった主任(ポジション的には副店長)と再会する事が出来たのだ。

10月末に寿退社されたので、会うのは5ヶ月ぶりくらいだろうか


主任は管理職の立場だが接客も完璧で、スタッフ全員に厳しく的確な指示を与えるドSな人だった。


私も何度も何度も怒られたけど、その裏には確かな愛を感じていた。


そして主任も私を本気で可愛がってくれた。他の社員さんからも羨ましがられるくらい可愛がられた。


「主任ロス」という言葉が出来るくらい、私たちは何か大きなものを失った。


主任がここを離れるときに言われた
「1人で抱えなくていい。他の社員と分け合って、私のスピリットを守り通して欲しい。ここの品質を落とさないで欲しい」と。

主任からすれば5年かけて作り上げたこの店舗のクオリティ。気持ちはわかる。

結論から言えば、そんなものは後輩たちに伝えることは出来ず、今の責任者たちのぬるーい温度が蔓延してるのが現状。



それを踏まえて主任と社員さんと3人で1日を過ごす機会がありました

「アクティブな1日にしよう!」

とのことで、ランチしてから20キロほどサイクリング、暗くなってから軽く夜ご飯。

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ずっと一緒にいても仕事のことしか話さないから、サイクリングで「わぁ〜〜きれい!」なんて大声で言うのは、いい気分転換になった。


でも本質は、やはりホテルの現状
社員さんと一緒に色んな事を相談した
そして、主任が言い放った


『私は3回言って直らない人と仕事なんてしたくないわ』

ごもっとも...ごもっともでございます。
あ〜怖いよ〜もし主任が今ホテルにいたら全員辞めさせるレベルで改革始まっちゃうよ〜〜(ひやひや)


『私は出来るようになるまで待ってあげれない。何でできないのかわからない』


主任がいなくなってから起きた大きな事件などを話して、主任だったらどう対応したかを伺ってみた。どれも主任らしい、プロの答えだった。みんなグゥの音も出ないだろう。


でも、それは主任の「正解」なのだ。
今の私たちは彼女ほどの「プロ」ではなく「出来る」人たちの集団ではない。


私はこの5ヶ月、主任がいた頃の「クオリティ」を維持するつもりが、「そのまま」の状態を維持することに躍起になっていたのかもしれない。


「主任だったらこうしただろう」を主任の仕事を知らない新人に求めるなんてひどく滑稽な話である。

私は主任から教え込まれたことを、自分の中に取り込んで仕事に取り組んできた。だから、仕事の仕方や考え方は似ていると思う。でも、所詮二次創作、伝言ゲームのようなものだ。オリジナルを完全にコピーすることはできない。


主任が原色の赤なら、私はパッションピンク。系統は似てるけど、決して同じではない。だから、新人たちに原色の赤を求めるのは到底無理な話だったのだ。


(いまの管理職たちは濁った青だと思うけど、それには触れないでおこう)


いまの彼女たちは何色なのだろうか。
淡いオレンジくらいにはなれたのかな。


主任がいた頃のピリピリしたパリッとした雰囲気はなくなったけど、それぞれが淡い雰囲気で迎える今も、完全に否定すべきものではないのかもしれない。

私はまた、主任と働きたいけどね。

それでも「今」を褒めてくれるお客様がいるのだから、これが「時代によって変化する」って事なのだろうか。


今回の答え合わせでわかった事。
人にはそれぞれ能力差や個人差がある。
全員を同じようにする事なんて出来ないけど、同じ系統でそれぞれの色を醸し出していければいいのかもしれない。


そして私はパッションピンクだ(?)

(その後1人で飲み明かしました)
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迸る想いに「冷水」を



ここ数日、筆が進まない
困っております、悩んでおります


1つの組織の中でも複数の立場がある
簡単に言えば「社員」と「バイト」
「一般社員」と「管理職」 


さらに最近は「組織外」の「社員」さんたちからお話を聞くことが多くあった


すると「社員」の立場から、今の私を「甘い」という人が、案外多かった。
私は今まで、自分の属する組織で「しっかりしてる」とは言われても「甘い」などと言われた事がなかった。



その人曰く、私の思いや熱量が大きすぎるから、誰も反論しようとしないのではないかと。


思い当たる節は、ある。


決して感情的ではないが、漫談になってしまうのが私の悪い癖なのだ。


その人は言った。
「同じ立場のはずなのに目線が上からになってないか」と。
「意識の前に行動を変えさせるべき」
「良いところを伸ばすようにすべき」
とも言っていた。


ここ数日これについて悩んだ。
所詮現場を知らない人の言うこと、その人の置かれてるレベルの高い状態とリンクさせて話されても...とも思った。


でも、耳が痛かったのも事実である。
いつの間にか「褒める」事をしなくなった。「教育」ではなく「粗探し」になっていたかもしれない。


そこで、些細なことでも褒めるようにした。とりあえず、怒らなくなった。でも、実際「怒らない」ほどラクな事はない。つまり、肩の力を抜いて、求めすぎず、一歩引いて見てみた。


すると、社員や管理職が私がしていたような「指導」を始めた。普通に怖い。


私は仕事を楽しんで欲しいと思った。
けれど、私の教育がそれを阻んでいたのなら、それは猛省すべき事だと思う。


だけど、私は自分のしてきた事がすべて間違いだとは思わない。基本的にずっと指導してきたけど、昨日より良くなったことに関しては褒めてたつもり。でもね、わかって欲しい事がある。


昨日褒められたままを今日しても、それは出来て当たり前だと思う

だから、私には向上心のある人にしか「褒める」教育ができない


「できない」事が理解出来ないのが、私の最大の弱みだと思う。決して私が完璧だと言いたいのではない。

出来ない、悔しい、もっと頑張ろう
先輩から技を盗もう、明日はもっといい仕事をしよう、ミスった〜〜悔しすぎる!2度とこんな事しないぞ...


私は要領が良くないから、ずっとこの繰り返し。

でも自信を持って言えるのは
「どんな時もプライドを持ってた」って事


その人も言っていた
「バイトで、退職間近なのにそれだけの想いがあるのだけは凄いと思う」と。


逆に問いたい
みんなは今、何を想って働いてるの?
 私は一途にお客様の事だけを想って働いている。だからこそ、ブレない接客が出来てるのだと思う。


全てを悟ったように話したって、分からないことだらけのこの世界
最高に面白いぜありがとう!



答え合わせの「ひとり旅」

【The reason why I travel alone is ...】

ここ数日、Twitterでぼちぼち呟いてるようにひとり旅をしている。

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すると「一緒に旅行しましょう!」と誘ってくれる方が多くいらっしゃる()のだが...ここでは、私にとっての旅とは何か、なぜひとり旅をするのかを整理したい。そして、あなたにとっての旅が何かを考えるきっかけになれば...と思う。


Facebook にかくための旅なんてしたくないんだよね」

モネ展に行く前に寄ったカフェで、2ヶ月ぶりに会った元 flatmateが言った。

Flatmate とは同居人、ルームシェアをしてる人同士を指す言葉

私はオーストラリアに留学中、ホームステイをしていたので、その時に一緒に住んでいた女の子

彼女も独特の世界観を持ち、何度も振り回されたものだ...(見知らぬ地のショッピングモールで置き去り事件等)


そんな彼女が発した言葉。


私もその頃から「2人以上の旅」に違和感...を遥かに超えたイラつきを感じていた

でもそのイラつきは彼女の意図したい事では無かったようだ(彼女はひとり旅も集団旅行も卒なくこなすタイプ)


私は考えてみた。
なぜ複数での旅行が苦手なのか。
そして辿り着いたのは、同行人を正確にアテンドする事に集中しすぎて「全く楽しめない」という答えだった。


どのバスにのればいい?どの道に行けばいい?何時にホテルでたらいい?で、どこいくの??


質問攻め。


それに瞬時に応答できるようにするためにかける準備期間


一度教えた事を何度も答えるイラつき


私の脳内メモリーを丸ごと移植したい、そう思うほどのイラつき


私は、同行人に「自ら考える」ことを求めてしまうのだ。金魚の糞みたくついてくるなと(元から連むのが大嫌い)



では、その答えは果たして合っているのだろうか...?? これまでの一人旅は完全なる「ひとり」ではなく現地の人と合流したりしていた。


【よし、ひとり旅してみよう!】


そしして始まった、答え合わせの「ひとり旅」も終盤に差し掛かってきた。


どこへ行き何をするか、全て私のために時間を使う事ができる。


時には無駄になる事だってある。
目的が果たせない事ばかりだ。

それでもいい。私は失敗からこそ、学びや得るものがあると思う。


計画通り進める事はある種の能力であり、大切な事だとおもう。しかし、それと同じくらい、もしくはそれ以上に大切なのは「イレギュラーに対応する能力」であると考える。


ひとり旅はこの「計画する力」と「イレギュラーに対応する力」を同時に鍛える事ができる。

(ひとり旅ハプニング集は後日掲載)

そして、移動中の時間さえも初めて見る景色に思いを馳せ、ひとり物思いに耽る事ができる。






本当はもっと沢山書きたいことがあるけども、とりあえずこの辺りに収めておこう。


答え合わせの旅は正誤を確かめるものでは無い。思考レベルを新たにリフトアップさせるものだと思って欲しい。そして、それはまだ道半ばである...
( to be continued)






「ありがとう」の押し売り


【一期一会】

なんともありきたりな言葉である。
就活生が使う「臨機応変」みたいな空っぽの言葉に思えてしまう。


接客業を極めると、言葉の選択にシビアになる。果たしてその言葉は現状を的確に表す言葉なのだろうか、と。


だがしかし、あえてここで伝えたい。
私の人生は「一期一会」に溢れている。


接客について話すと

【「ありがとう」が嬉しくて、自分もお客様の立場の時、意識的に感謝を伝える!】

という事をちらほら聞く。
私は、それに違和感を感じる。

【わざわざ「ありがとう」って言ったよ?ね?嬉しいでしょ?!】

そんな「ありがとう」の押し売りのような気持ちがするのだ。

もちろん「ありがとう」を言われて嬉しくない人はいない。私も日々お客様からの言葉に幸せをもらっている。
でも、その言葉に心がこもっているか否かは察しが付くものだ。


ぶっきらぼうでも「あったかい」ときもあれば、ニコニコしてるのに「白々しい」ときもある。


この人の「ありがとう」は量産(用意)された言葉の1つで、私の接客から生まれた言葉ではないのだと。


つまり、こうである
「ありがとうと言うようにしている」とは

その人に会う前から用意した「ありがとう」を接客を受けてから「はいどうぞ」と配っているだけなのでは...?


私は、接客を受ける時、接客のプロとしてその人をきちんと評価する。
依怙贔屓ではなく、厳しい目線でみる。


その言葉使い方はおかしい
それは私の質問の答えにはなってない
伝えたいことが不明瞭
身なりが整ってない
...

その接客について後で友達と話すと
「私はそんな事気にならなかったけど」
と言う。


そこまで見もせずに言える「ありがとう」に果たして意味があるのだろうか。心がこもっているのだろうか。本当の意味で「ありがとう」なのだろうか。


私は1日200人以上の新規のお客様を接客する。扱う個人情報レベル最高だと自負している。だからこそお客様に「この人なら信頼できる」と思う人でなくてはならず、厳しい目で評価される。


私の戴く「ありがとう」は、それを勝ち抜き、更に心に響かせた接客に対する正当な評価としての「ありがとう」である


量産された「ありがとう」ではない。


私はこれこそが一期一会なのではないかと思う。

【もう2度と会えないかもしれない。でもこの一瞬に真摯に向き合ってくれたあなたを忘れないよ、ありがとう。】

私はこんな気持ちで、旅行中に立ち寄った洋服屋さんの店員さんに「ありがとう」を伝えた。





密室への訪問

【客室行ってきます】

客室から内線5番(仮)でフロント直通の電話がなる
その大半は客室に関する質問で、訪問した方が早い時も多い


とはいえ。

「鍵がかかれば密室」である
かつて訪問して全裸だった時は「悪質」だと思った。(夜勤のスタッフは有料放送を流した状態で呼ばれることも多いらしい)

これが続くと、あんまり訪問はしたくないと思うけれども、フロント以外でのお客様との関わりはかなり貴重

客室から出る時

「それでは失礼します、ごゆっくりお休みくださいませ」

といつもと違った言葉をかけれる幸せ
それを聞いて微笑むお客様の顔

ああ、やっぱり私は接客が好きだ
この人たちの笑顔のお陰で幸せなんだ
私はこの仕事、お客様の虜である


虜にするつもりが、虜になっていた