むーたん 思考のむきだし

むーたん(21)@zymwq 愛のむきだし

「ありがとう」の押し売り


【一期一会】

なんともありきたりな言葉である。
就活生が使う「臨機応変」みたいな空っぽの言葉に思えてしまう。


接客業を極めると、言葉の選択にシビアになる。果たしてその言葉は現状を的確に表す言葉なのだろうか、と。


だがしかし、あえてここで伝えたい。
私の人生は「一期一会」に溢れている。


接客について話すと

【「ありがとう」が嬉しくて、自分もお客様の立場の時、意識的に感謝を伝える!】

という事をちらほら聞く。
私は、それに違和感を感じる。

【わざわざ「ありがとう」って言ったよ?ね?嬉しいでしょ?!】

そんな「ありがとう」の押し売りのような気持ちがするのだ。

もちろん「ありがとう」を言われて嬉しくない人はいない。私も日々お客様からの言葉に幸せをもらっている。
でも、その言葉に心がこもっているか否かは察しが付くものだ。


ぶっきらぼうでも「あったかい」ときもあれば、ニコニコしてるのに「白々しい」ときもある。


この人の「ありがとう」は量産(用意)された言葉の1つで、私の接客から生まれた言葉ではないのだと。


つまり、こうである
「ありがとうと言うようにしている」とは

その人に会う前から用意した「ありがとう」を接客を受けてから「はいどうぞ」と配っているだけなのでは...?


私は、接客を受ける時、接客のプロとしてその人をきちんと評価する。
依怙贔屓ではなく、厳しい目線でみる。


その言葉使い方はおかしい
それは私の質問の答えにはなってない
伝えたいことが不明瞭
身なりが整ってない
...

その接客について後で友達と話すと
「私はそんな事気にならなかったけど」
と言う。


そこまで見もせずに言える「ありがとう」に果たして意味があるのだろうか。心がこもっているのだろうか。本当の意味で「ありがとう」なのだろうか。


私は1日200人以上の新規のお客様を接客する。扱う個人情報レベル最高だと自負している。だからこそお客様に「この人なら信頼できる」と思う人でなくてはならず、厳しい目で評価される。


私の戴く「ありがとう」は、それを勝ち抜き、更に心に響かせた接客に対する正当な評価としての「ありがとう」である


量産された「ありがとう」ではない。


私はこれこそが一期一会なのではないかと思う。

【もう2度と会えないかもしれない。でもこの一瞬に真摯に向き合ってくれたあなたを忘れないよ、ありがとう。】

私はこんな気持ちで、旅行中に立ち寄った洋服屋さんの店員さんに「ありがとう」を伝えた。